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「みんなの」を考える

この世界に無いものは

あなたの心の中にある


僕が運営するオンラインサロンのメンバーに

障がいを持つ男の子のお母さんがいて

彼女の呼びかけで始まった音楽イベント


「みんなのCoromo Music」


障がい者や介護者にも優しい音楽イベントだ。

開催が1ヶ月後に迫り

あくせく度数も60%に上昇中。

僕の「忙しい忙しい」のお馴染みの光景だ。


「みんなのCoromo Music」


僕は「みんなの」って付いてるこのネーミングが大好き。

何気なく、さりげなく感じるけど

このイベントの意義の全ては「みんなの」に集約されている。

今日はこの「みんなの」の意味を深く考えてみようと思う。


この世に誕生するあらゆるモノコトは

「みんなのです」という立ち振る舞いで涼しい顔をしているし

「みんなの」と思っている人も多いだろう。

でも実は全然「みんなの」じゃない。

「みんなの」なんてきっとほとんど存在しないんじゃないかと思う。


この世界も、この社会も、

大なり小なり「差別」だったり「区別」だったりが存在して

ちっともボーダレスじゃない。

何でもかんでもボーダレスが素晴らしい、なんて思わない。

必要な境界線はある。


「土足で俺の領域に入ってくんじゃねー」 って思うしね。


ただでも、

ある一定のルール上で

「みんなの」にふさわしい場所が増えてくことは

やっぱり美しいと思う。


バスの中で小さな子供がくずり出し大声で泣いた。

近くに座っていたおじさんが、その子供の母親に叫ぶ。

「うるさいんだよ。泣きやますか降りるかしろよ!」

何度も頭を下げる母親。

きっとその母親は、次から子供を連れてバスに乗ることを躊躇するだろう。

それって「みんなのバス」って言える?


僕は赤信号を渡らない。

どんなにクルマが走ってなくても渡らないようにしている。

それは幼少期に

「あなたはRHマイナス、事故に遭ったら大変だから注意しなさい」

と言わられたことが影響してるようにも思う。

普通の人よりも事故に敏感。

ほんの少しの不自由。

誰もが大なり小なり不自由を抱えながら生きてる。


国籍

年齢

性別

学歴

職歴

宗教

価値観

性的趣向

障害の有無

先天性

後天性

諸々。


この世は「みんなの」のようで

やっぱり「みんなの」じゃない。

ジョンレノンは歌ったよね。

想像することが大切だと。


「みんなの」が実現することはそんなに難しくない。

「誰かの不自由を想像する」

そして

「すべての人に優しく」という「心の赴き(おもむき)」を持つこと。

それこそが

真のダイバシティの誕生へと結びつくのだろう。

「みんなの」は「みんなに優しい」じゃないと成立しないのだと思う。



誰もが自分の痛みや不自由には敏感だけど

大切なのは

隣人の不自由を抱きしめること。




僕たちは、この社会になかなか存在しえない

「みんなの」を作りたいと奔走しています。

沢山の方に参加して欲しいです。

だって「みんなの」なんだもん。



みんなで優しさを持ち寄り

「みんなの」を「みんなで」大きく広げていきましょう。




執筆 尾上一平




イベントページ https://www.manomana.rocks/coromomusic2023 みんなのcoromoプロジェクト https://www.manomana.rocks/coromo


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